かつてあったネットのうそリスト

 

・違法ダウンロードだめ絶対! 割れ厨は産業の破壊者なので見つけ次第射殺!!

→割ってたけど一定の社会的地位を得て成功しているやつが何人もいる。

→言ってるやつがそもそも何もしていないオッさんだった。

→これに限らずネットは実は何もしていない無能な中年の私怨が多い。

 

Fランク大学や専門学校は金の無駄だし進学すると人生おしまい

→成功している人も大勢いる。重要なのはそこで力を付けたかどうか。

→たとえ新卒で希望通りの就職ができなくても第二新卒で転職できる。

→そのとき市場が悪くてもその人が20代のうちに求人倍率は回復する。

就職氷河期の怨嗟も他責にしているだけで実はほとんどが個人の問題。

 

リア充(比較的新しい用語だけど2007年以前から概念は存在していた)

→基本的には行動しないorしなかった人間の妬み嫉みでしかない。

Facebookにハイライトを投稿をしている人の人生にもシェーディングがある。

→要するに経済、家族、心身問わず健康問題などについては触れていないだけ。

 

・女はクソ

→成人後に本気で言っている場合は疾患や障害の可能性が高い。

→言ってるやつに人類の半分を敵に回して勝てるだけの強度がそもそもない。

 

・ライトな右翼と排外主義

→政治についても外交についても学術的な信頼性のある裏付けがない。

→実際に自分で中国や韓国に出かけていってその国の社会に触れていない。

→結局のところ属性でいうと論者に低学歴と生活無能力者が多い。 

 

・こうでなければならぬorこうあるべき論

→ほとんどが個人の趣味や感想。万人に当てはまるものではない。

 

 まとめ

 ネットは便所の落書きなんかじゃない、新しいコミュニケーションの形なんだ! とか、人種、居住地、年齢、性別、職業などの属性を取り払った自由な言論空間なんだ! といった考えが幻想だったことはもう自明。それは否定できない。

 要は匿名で無責任に悪意を振りまいておいてその後は知らぬ存ぜぬといった言いたい放題・やりたい放題が可能だし、そこに信頼性があるのかどうかの絶対的な基準は結局その個人の属性に求めることになる。

 なので年がら年中SNSに張り付いてネガティブでいい加減なことばかり言っている人の意見を真に受けたり、「なんだか詳しい人が言っているのだしそうなのかな?」とうっかり信じたりしないようにするのが大切。

 

自分でもアルジャーノンかよと思う

 

 字の読み書きがうまくできない。お金の計算を間違える。今が何年の何月で自分が何歳なのかはっきり認識できない。過去に起こったことのフラッシュバックとこれから起こるかもしれないことが延々頭に浮かんでくる。

 行動のために小さいノートを用意した。寝る前に翌日の行動プランを書いてから寝れば起きたときに何をすればいいかすぐわかる。

 ところが俺は「わかっているがそのとおりに行動しない」ということがあって、「なんとなくめんどくさいからやらない」レベルの話ではなくて、そのとおりに行動している自分(妄想)と布団で横になっている自分(現実)が同時に存在しているような認識のしかたをしている。

 要は離人症みたいな状態なんだけど、本当に自分の行動を自分の意志でコントロールできないというか、もうずっと何かに依存しているか支配されているかのどちらかで、正常ではない感じがする。

 

 今日の夕方は特に不安が強くて誰かが近くにいてくれないとダメなんじゃないかと思った。時間が過ぎていく。「俺がこんな状態になっているのはおかしい」という気持ちがあるから余計につらい。

 

 とにかく日中が辛い。堂々巡りに陥ってしまい、まともな思考や行動ができない。紙に書いて思考を整理しようにも、無限にネガティブな考えが噴き出してくるのですごく苦しいし、現状の確認にしかならない。

 大事なのは行動を積み重ねて未来を築くこと。問題解決型、獲得型の思考を手に入れること。

12月10日

 ブログを書いていると「お金の発生しない文章を書いている場合ではない」「そもそも自分は人に向けて何か発信していい立場の人間ではない」といった強い強迫観念が頭に渦巻いてきて思考に靄がかかってくる。歪んでいると自覚していてもなかなか振り払うのが難しい。

君の名は。 のこと

 

 鬱病みたいな日記はよくないのでアニメの話でも書くよ~。

 

 「君の名は。」、大ヒットしているらしいので観に行ったのだけど、俺はかつて新海誠監督の大ファンだった時期があって、一応フィルモグラフィーは細かい仕事も含めてだいたい全部観ている。結論から書くと感想は「とても完成度が高いけど、好きか嫌いかでいうと好きではない」といったところ。

 この監督は一作目から「宇宙と地球を繋げる想い」「塔のむこうを目指して歩く少女」といった漠然としたイメージをそのまま骨子にしたストーリーを作る人で、主人公に当たる男の子と女の子以外はあまりはっきりした輪郭がないことから、10年くらい前はいわゆるセカイ系の旗手みたいに言われていた。

 ところが3作目から妙に現実寄りにシフトしてきたというか、ストーリーの面で幻想的な部分がなくなって、「小学校のころ好きだった女の子のことが30近くになっても忘れられないけど、その想いが報われることはないこの現実を自分でもわかってる、切なくて哀しい大人のオ・レ」みたいなちょっとキモい作風になる。

 今回は現実に寄せつつもそういったキモい部分をなくし、「彗星の落ちる町と時空を超えたボーイ・ミーツ・ガール」というファンタジーを骨子にして、いわば原点回帰を果たしたハイブリッドな作品になっている。毎度のことながら透明感のある美しいビジュアルで、よくできた映画だった。

 

 気に入らない点については、これは完全に俺の感情論なので作品の評価とは分けて読んでほしいのだけど、「四ツ谷のマンションに住んでアーロンチェアに座り新宿でバイトしている都立高校の瀧君」「飛騨のド田舎の神社の家で口噛み酒を造っている巫女の女子高生」といったキャラクター、そんなやつはいねえ

 前置きすると俺はフィクションに関して、たとえば剣と魔法の世界だったり、銀河を二分する陣営がもはや開戦の理由など誰もわからなくなった戦争を100年間継続していたり、開拓時代の西部のガンマン、原爆スラムの兵隊やくざ、80年代末の香港三合会などなど、自分の人生とまったく地続きではない世界を好む傾向がある。

 なぜかというと現実なら現実で毎日見てるし、お金や時間を使ってフィクションの世界をワクワク楽しんでいるときにわざわざ「これが現実ですよ」とやられるのが不快だからなんだけど、クリエイターのリアリティの考え方が俺とは違っていたり、趣味が露悪的だったりするとこのへん決定的に齟齬が出てくる(ちなみにこのパターンで最悪なのはもちろんエヴァンゲリオンの最終話)。

 そういう意味で「君の名は。」は不快感を覚える部分がけっこうあった。「あれから5年間のことはよく覚えていない(のになぜか大学を卒業して就活で内定を得て会社員になっている)」とか「キミもちゃんと幸せになりなよ(左手薬指キラッ」とかね。ムカつくアニメを見せるんじゃねえ。ガンダムを出せよガンダムをよ。

 

 あとはね~、人数が多いし発信力があるからマーケティングとして当たり前なんだけど、「首都圏の若者」に過剰にリーチしてる感じがあるんだよな~。これ関東平野に一切関わりがない年配の人にまで伝わるか? というとあまり普遍的ではないと思うんだよな~。

 まあそんなところです。あ、「この世界の片隅に」は本当に本当に最高だったよ!! (これについてはまた後日書けたら書きます)(おわり)

 

 

胡蝶の夢

 

 昨夜は姉の婚約者の男性が実家に来たので夕食を囲んでいた。水炊きだった。父はアルコールを好むので親父、義兄(予定)さん、俺の3人は酒を飲んでいたものの、序盤は彼も俺も緊張していて酌をする手が微妙に震えていた。

 結婚する女性の実家に夕食に招かれて、そこには彼女の父親と弟、しかもこの弟は自分より年上なのに無職、となれば緊張するわどう接したらいいかわからないわでかなり厳しい。同じ立場に置かれるのを想像するだけで逃げ出したくなる。

 

 確かなのは彼は優秀かつ立派な青年で、今までたくさんのハードルを乗り越えて生きてきたのだろうということだった。顔や喋り方には実直さがあったし、表情やユーモアには若者らしさがあった。

 在宅が長かったりまともな仕事をしてないやつはまず服が腐ってることと、顔や喋り方がイキがった中学生みたいなので一発でそれとわかる。というか俺がそうだ。それでもたまに状態の悪い人と話すとけっこうゾッとするから、同じように俺も人をゾッとさせているのだろう。変える。

 

 この2週間の進捗としては週に4通以上求人に応募するのも、それと平行して希望する職種に関連した資格を取得するのも思うように進んでいない。思うように進んでいないのは単純に怠けていることになるし、人生を投げ出していることになるので愚かということになる。変える。

 

 

最近考えていたこと

 

 状態としては神経症・不安障害(正確な診断名はない)といった類の症状が15歳くらいからずっと断続的に出ていて、現在は毎日食前に漢方、不安時の頓服、睡眠時の導入剤といった形で服薬をしている。最近それとは別に栄養療法をやっている自由診療の内科で血と尿を採ってもらい、食事の指導を受けたりした。

 なので先週からご飯、パン、麺、じゃがいも、コーンフレークなどを食べていない。いわゆる糖質制限というやつだけど、まだ数日とはいえ今のところ米については断ってもそこまで欲しくならなかった。自主的に吞む習慣がないからお酒についても問題ない。

 それより問題なのは糖質制限は食費が高くなりがちだということで、「炭水化物は安価にお腹がいっぱいになる」というのが久々に胸に落ちた気がする。コンビニに入店すると棚は米と小麦粉由来の食品と甘いもので溢れている。これはよくない……。

 あと一人暮らしで糖質制限を行うとお金ばかりかかって食事の用意も大変になるという話は、おかずを多めに作っていつも茶碗で半合食べているご飯を豆腐一丁に置き換えるだけだし、「夕食時のみ」などの弾力的な運用もできるので、実際はそこまで困難ではないのではと思った。

 

 自分のことを諦めたくないので猛スピードで大量の行動を起こしていかなければいけないけど、考えごとをするといつも過去の嫌な出来事、未来に起こり得る不安などの恐ろしい妄想が絡んできて、まともな思考ができなくなる。俺がそういう無意味な思考に囚われている間にもどんどん時間が過ぎていくからさらに苦しい。

 

 現在は実家にいて母、姉と3人で暮らしている。いろいろなことを言われるので混乱することが多い。

 

 「混乱する」というのがどういう状態かというと、自分が予期不安やネガティブな妄想に取り巻かれて何一つ行動ができなくなってしまうイメージだ。普通の人(がどんな人かわからないが)の思考が直列だとすると、俺は並列というか……。すぐに意識が拡散してしまうし、意志を伴った自己管理に強い困難を感じる。

 

 「絵画教室の先生は30代の10年間を無収入で絵を描くことだけに費やしていたが、先生のアトリエは木造の長屋で、何本も細い道や歪な階段を通った先にあった。私にはそれが産道のように思えて、『産道を遡って子宮に戻る』感じがした。案内されているとき既に、私には才能がないし、こんな自力で生まれ直すような世界はとても無理だと思った」

 これについては話の内容より表現が文学的だと思った。いっぽうで神経症みたいな感じ方だなとも思う。

 

  10月4日は電話を3本かけて、それから新しい眼鏡を買った。目が見えるようになると気分もいい。