日記2

 

 深夜に字を書いてもろくなことにならないが、今夜もまったく眠れなかった。

 

 ハードなゲームプレイといわゆる「普通の生活」は両立するのか考えていたけど、「24時間を3で割って8時間寝て8時間働けば8時間は自由時間だ」というときど理論を採用しても、100時間に達するには12.5日かかる。実際はぴったり8時間で終わる仕事は珍しいし、ぶっ通しで8耐プレイもできないから、通勤や家事、生活上の雑務など含めると平日は1~2時間以下、というよりできない日のほうが多くなるだろう。

 仮に土日が両方休めるとして、ここで16時間ゲームをやるとする。これをすべての土日で行ったとして100時間に達するまで6週間。総プレイ時間は25~50時間程度のタイトルが多いかもしれないけど、これくらい詰めていってもおそらく1年間にまともにプレイできる本数はだいたい10~15本くらいに収束する。

 俺はRPGなどプレイ時間が膨大になるジャンルは15歳くらいで既に諦めていて、ほとんど通ってこなかった。旧作も含めてシューティングと美少女ゲームに的を絞ってやってきたのだけど、はっきり言って計画通りにいかないことのほうが多いし、近年は御多分に洩れず単なる逃避の手段になっている。感覚としては飲酒に近い。

 

 プレイ時間の問題は実家に住む、ルームシェアなどで負担を分散する、決まった時間で終わるパートタイムの仕事をする、などで一応軽減できる。ただそれが持続可能かというのは別問題で、仮に40代までこのライフスタイルを継続したとすると、その先は幸運に恵まれるか冴えた策を講じておかないと相当厳しい。生存を脅かされる状況に陥る可能性も出てくる。

 何でもそうだけどあまり人付き合いをしない、結婚や育児をしない、というのが経済的な問題やスキルの面で「しない」から明確に「できない」に変わってきたときに、選択の重みが増してくる。そういう意味ではゲームは一定以上の熱意を持って触れ続けること自体に孕むリスクが大きいジャンルで、ゲームプレイで得たことを何らかの形で昇華する手段がない場合、本当に孤独な戦いになる。

 かつてハイスコアラーとかシューターと呼ばれた人たちで心が壊れてしまった人を何人か見た。大作ゲームがマルチプレイ主体に進化していったのも、コミュニティ機能が標準化したのも、ソーシャルゲーム(実質ゲームっぽいSNS)の台頭、ゲーム実況からその視聴者の関係まで、ゲームはもう何をやっても人、人、人になったけど、今はそれもわかる。

 一人でゲームと向き合う行為は報われないのだ。どこまで行っても自分とゲーム以外に何もない、その完全に自立した、純度の高いゲーム体験には一切の見返りがない。いわば無償の愛なのだけど、言葉の通り趣味というよりはもう信仰に近いものになる。しかもゲームの場合敬虔であればあるほど救われず、心の中に神殿が築かれることもない。

 せめて誰かと簡単に分かち合うくらいのことはさせてくれ、と思うのも当たり前だ。「対人戦である」という理由だけで格闘ゲームが今だに人気なのも、あれが本質的にはコミュニケーションツールで、そこにコミュニティがあり、人との出会いがあるからだろう。

 

 おそらく趣味が物理的に1秒もできなくなる状況はないと思うけど、心理的な障壁があってできなくなるというのはよくわかる。お金が十分にあっても次世代機を購入してセッティングすることができず、ソーシャルゲームのガチャに5万円、10万円課金してしまうというのも。それならバーや焼肉店にでも入って人と話すかやらないほうがいい。

 原型製作をしてディーラーになろうとか、今までにないすごい塗装表現をして人を驚かそうとか、そういった出すぎたことを考えなければプラモデルは面白い。一人でできるし、大きなものでなければ苦痛なことがほとんどないし、なぜか異常に楽しい。料理もそうだけど、何をどうすればいいかわかって所定の工程を実行すればその通りになるところがいい。予測できないことは起こらない。

 音楽を聴くのは何かをやりながらできるので良い。歩いていても走っていても外にいても聴けるし、ライブやコンサートに行くのも面白い。聴いて詳しくなってもアウトプットが何もできないのは寂しいけど、気晴らしにはなる。俺は自分のやり方でこのシーンにコミットするんだとかそういうことを考えなければ、聴きたくないときは聴かなくていい。

 半永久的にシーンが続く、卓越したゲーム性、対戦やトレードで交流できる、などの点で考えれば Magic: The Gathering は地球上で一番優れたゲームだと思う。おそらくは競技性のあるどんな動的ビデオゲームよりも。逆に「マジックの人」という感じで専業にならなければいけないところと、けっこうな額のお金がかかるところが難点ではあるが。

 

 昔は学校で運動系の部活動をしていたが先天的に身体を動かすのが得意ではないのであまり上達しなかった。それと山登りや海へ行くなどのアウトドアは複数回やったことがあるけどそれほど面白く感じない。今やれば違う感想になるかもしれない。わからない。それから、外国に行ったことがない。日本国内もほとんどない。何か明確な目的がないと旅行はしづらい。

 「海の上のピアニスト」という映画があった。1900年に豪華客船の中で生まれて Nineteen Hundred と名付けられた天才的なピアニストがいて、乗っていた船が廃船になって爆破解体されることになっても船を降りずにそのまま死ぬ。

 

「あの大きな街、終わりがなかった。終わりはどこだ? すべてのものの行き着く先が見えなかった。世界の終わりが」

「あの街を縦横に走る数えきれないほどの道。その中から1本の道を選べるか? 一人の女、一軒の家、自分の土地、自分の見たい景色、自分の死に方。終わりのない世界が上からのしかかってくる。そこで生きていく? 考えただけで恐怖に潰されちまう」

「陸地? 僕には大きすぎる船だ。僕には美しすぎる女、長すぎる船旅、香りの強すぎる香水。僕には弾けない音楽だ。僕は、船を降りられない。だから人生を降りるほかない」

 

 名シーンだが俺も近年はそういう気持ちになることが多い。1900については天才なんだし普通にピアノ弾いて暮らせよと思うけど。学費や生活費を何百万も無駄にした、多額の借金を作った、犯罪を犯した、誰かを再起不能なほど傷付けた、などの致命的なことはなかった代わりに、いろいろなことがあって選択を何度も誤ってしまい、途方に暮れるばかりだった。

 いや今この状況がまさに致命的なことかもしれない。考えると死んでしまいたくなるけど生きるために必死に行動しなければいけない。

 

 今日は代車を家の車に引き換え、祖母の老人ホームに行き、昼はトーストを焼いて食べようとしたが具合が悪くて食べられなかった。それからハローワークで訊きたいことを相談して、臨時福祉給付金の書類を作った。

 考え得ることを全部調べてその中で一番よさそうだと思うことを実行する。うまくいけばそれでいいし、駄目だったらやめて違うことをすればいいだけだから困難は何もない。去年もそうだった。何をやっても気付くことや勉強になることはあるから、無駄になることは一つもない。

 

 完全・完璧を目指したり、全知全能になろうとしたりしていたから、それがよくなかった。世の中の大半のことは俺にはわからない。知っていることもそんなに多くはないし、それが普遍的な事実かどうかもわからない。